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たでくうむし

蓼喰う虫

谷崎 潤一郎

「大阪毎日新聞 夕刊」1928(昭和3)年12月3日~1929(昭和4)6月17日<br>「東京日日新聞 夕刊」1928(昭和3)年12月3日~1929(昭和4)6月18日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 110,066 字 · 216 页

青空文庫

だからこれこそほんとうの意味での、純粋に郷土の伝統から生れた農民芸術であると云えよう。芝居は大概年に二回、五月と正月とに催されるので、その時分にこの島へ渡れば、洲本、福良、由良、志筑等の町をはじめ、至る所の在所でやっている。大きな町では常設の小屋を借りることもあるけれど、普通は野天に丸太を組んで莚で囲いをするのであるから、雨が降れば入り掛けになる。そう云う訳で淡路にはずいぶん熱心な人形気違いが珍しくなく、その道楽が昂じると、一人で使うことの出来る小さな指人形を持って町から町を門附けして歩き、呼び込まれれば座敷へ上ってさわりの一とくさりを語りながら踊らせて見せると云うようなのもあり、人形を愛するあまりには家産を蕩尽するのは愚か、ほんとうに発狂する者さえもある。ただ惜しいことにそれほどの郷土の誇りもだんだん時勢の圧迫を受けて衰微に向いつつある結果、古い人形が次第に使用に堪えなくなるのに、新しい首を打ってくれる細工人がいなくなった。今人形師と名のつく者は阿波の徳島在に住んでいる天狗久と、その弟子の天狗弁と、由良の港にいる由良亀との三人しかないが、そのうちほんとうに腕の出来ている天狗久は、もう六十か七十になる爺さんで、もしこの人が死んでしまえば永久にこの技術は亡びるであろう。