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たでくうむし
蓼喰う虫
谷崎 潤一郎
「大阪毎日新聞 夕刊」1928(昭和3)年12月3日~1929(昭和4)6月17日<br>「東京日日新聞 夕刊」1928(昭和3)年12月3日~1929(昭和4)6月18日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 110,066 字 · 216 页
と、老人が咳払いした。そして眼だけは舞台から放さずに、手さぐりで膝の下敷きになった猿手の金唐革の煙草入れを捜しあてたが、煙管のありかが分らないでしきりにその辺を間さぐっているのを、気がついたお久が座布団の下から見つけ出して、火をつけてから手のひらの上へ載せてやって、自分も思い出したように帯の間にある紅い琥珀の叺を抜き取ると、こはぜの附いた蓋の下へ白い小さな手の甲を入れた。
成るほど、人形浄瑠璃と云うものは妾の傍で酒を飲みながら見るもんだな。―――要はみんなが黙り込んでしまったあと、ひとりそんなことを考えながら仕様ことなしに舞台の上の「河庄」の場へ、ほんのりと微醺を帯びた眼を向けていた。普通の猪口よりやや大ぶりな杯に一杯傾けたのが利いて来て、少しちらちらするせいか、舞台がずっと遠いところにあるように感ぜられ、人形の顔や衣裳の柄を見定めるのに骨が折れる。彼はじいっと瞳を凝らして、上手にすわっている小春を眺めた。治兵衛の顔にも能の面に似た一種の味わいはあるけれども、立って動いている人形は、長い胴の下に両脚がぶらんぶらんしているのが見馴れない者には親しみにくく、何もしないでうつむいている小春の姿が一番うつくしい。