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たでくうむし
蓼喰う虫
谷崎 潤一郎
「大阪毎日新聞 夕刊」1928(昭和3)年12月3日~1929(昭和4)6月17日<br>「東京日日新聞 夕刊」1928(昭和3)年12月3日~1929(昭和4)6月18日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 110,066 字 · 216 页
彼女は夫や弘ほどに犬好きではないのだけれど、このピオニーはいつも帰りが十時過ぎになる時には、じいやと一緒に停留所まで迎えに出ていてくれるのである。そして彼女が改札口から現れると、鎖の音をちゃりん! と云わして、いきなり跳び着こうとするのである。彼女はそんな時、じいやを叱って着物に附いた泥足の痕を払いながらも、だんだん犬が前ほどは嫌いでなく、この頃では気が向くと撫でてやったり、ミルクを与えたりなぞしていた。ゆうべ電車を降りた時にも、「ピオニーや、今日はお前のお友達が来たんじゃないの」と、そう云って跳び着いて来る頭をさすった。どうかすると、誰より先に自分の帰りを喜んで迎えるこのピオニーが、夫の家の代表者のように思えもした。
雨戸は気を利かして締めてあるのだが、欄間の障子にぎらぎらしている日ざしの様子では、外は桃の花の咲きそうなうららかな天気になっているらしい。そう云えば今年のお節句には雛人形を飾ったものかどうであろう。彼女は初節句の祝いに人形好きの父親が特別に京都の丸平で拵えてくれた古風な雛を、結婚の時道具と一緒に斯波家へ持って来ているのである。そして関西へ移ってからは土地の風習に従って一と月おくれの四月の三日を節句にしていた。