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ちまんだらしちょうぶし

血曼陀羅紙帳武士

国枝 史郎

「冨士」講談社 1939(昭和14)年9月~12月中絶、「血煙天明陣」桃源社 1970(昭和45)年に付載して完結公刊

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 88,970 字 · 176 页

青空文庫

その時彼女は、崖下から、人声らしいものの、聞こえて来るのを聞いた。彼女は狂喜し、地を摺って進み、肩と胸とを、崖縁からはみ出させ、崩れた髪で、額縁のように包んだ顔を覗かせ、崖下を見下ろし、

「もし、どなたかおいででございますか。刀箱を落としましてございます。その辺にありはしますまいか? ……あ、水が飲みたい! 水を汲んでくださいまし」

典膳は、この時、もう岩の上に坐りこんでいたが、女の声を聞いても、耳に入れようとはせず、ただ、女の腕に縋り、それを手頼りに、崖の上へあがろうと、ひしと女の手を握った。

「お願いでございます。この手を、グッとお引きくださいまし。それを力に、私、崖を上がるでございましょう。ご女中、さ、グッとこの手を……」

お浦は、突然手を握られて、ハッとしたが、咽喉の渇きがいよいよ烈しくなって来たので、握られた手を振り放そうとはせず、

「水を! まず、水を! ……その後にお力になりましょう。手をお引きいたすでございましょう。……おお、水を!」

この二人を照らしているものは、練絹で包んだような、朧ろの月であった。

典膳は、やっと、ヒョロヒョロと立ち上がった。