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にんしきろんとはなにか
認識論とは何か
戸坂 潤
「認識論」戸坂潤、山岸辰蔵、三笠書房、1937(昭和12)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 58,432 字 · 116 页
。このことが模写=写すと形容され譬喩される根本事実なのである。少しでも人工的な手心を加えては、この「ありのまま」の姿がデフォームされる。認識主観は明鏡止水でなくてはならぬと共に、凸凹していたり曲率があったりしてひねくれた歪曲したものであっては困る。こうしたことが、有態の真実を写すということであり、認識が真だという関係の、一応の姿なのである。
第二に又、抑々どういう権利で認識ということが可能か。一体事物が凡そ認識出来るということは、どうやって可能なのか。但し之に本当に答えることは誰にも出来ないことだ(この点については後の機会に触れよう)。それはそう仮定でもしない限り動きの取れなくなる、云わば不思議な事実なのである。事物は究極的には、何等の理由も原因もなしに、いきなり直接に、認識出来るものだ、とこの際吾々は仮定せざるを得ない。その限り、事物と認識された事物との間は、無媒介で透明でなくてはならぬ。もしそこに何等かの不透明な不純物が充満しているなら、事物は、さっき云ったようにありのままには認識は出来なかった筈だ。即ち事物と鏡との間は、空虚な空間でなくてはならぬ。