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あかひげしんりょうたん

赤ひげ診療譚

山本 周五郎

02 駈込み訴え

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 21,864 字 · 44 页

青空文庫

半太夫はすぐに去った。去定は病人の顔をじっと見まもっていて、それから眼をつむり、そっと頭を垂れた。低頭したようでもあるし、単にちょっと俯向いただけのようでもあった。

「この六助は蒔絵師だった」と去定は低い声で云った、「その道ではかなり知られた職人だったらしい、紀伊家や尾張家などにも、文台や手筥が幾つか買上げられているそうだが、妻も子もなく、親しい知人もないのだろう、木賃宿からはこびこまれたのだが、誰もみまいに来た者はないし、彼も黙ってなにも語らない、なにを訊いても答えないし、今日までいちども口をきいたことがないのだ」

去定は溜息をついた、「この病気はひじょうな苦痛を伴うものだが、苦しいということさえ口にしなかった、息をひきとるまでおそらくなにも云わぬだろう、――男はこんなふうに死にたいものだ」

そして去定は立ちあがり、森をよこすから臨終をみとってやれと云った。

「人間の一生で、臨終ほど荘厳なものはない、それをよく見ておけ」

登は黙って坐る位置を変えた。

彼は初めて病人の顔をつくづくと見た。それは醜悪なものであった。すでに死相があらわれているし、肉躰は消耗しつくしたため、生前のおもかげはなくなっているのであろうが、眼窩も頬も顎も、きれいに肉をそぎ取ったように落ち窪み、紫斑のあらわれた土色の、乾いた皺だらけの