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ついおく

追憶

宮本 百合子

「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社、1981(昭和56)年12月25日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,363 字 · 35 页

青空文庫

「富田さん富田さん

と叫ぶのに混ってバタバタ云う草履の音や氷を欠く響きが只事ならず段々更けて行く夜の空気を乱して聞えて来た。

向うの方は昼の様に明るく、不断はついて居ない灯まで廊下の角々や風呂場にあかあかと光って居る。

何と云う賑やかな面白そうな事だろう。

私は起きて行って見たくなって来た。

初めの間は母に叱られるのを考えて足をムズムズさせながらも我慢して居たが、其等の騒がしい音は丁度楽隊が子供の心を引き付けるより以上の力で病室へ病室へと私の浮足たった霊を誘い寄せるのであった。

私の我慢は負けて仕舞った。

そして到頭隣りのリンゴをもぐ様な心持になって起き上って、廊下へ一歩出ると、あんまり真暗闇だったのと、これから取り掛ろうとする大冒険の緊張で、犬っころの様な身震いをした。

足の裏の千切れて仕舞いそうなのを堪えて探り足で廊下の曲り角まで行くと右側の無双窓の閉め忘れた所から吹き込む夜の風が切る様に私に打ちかかって、止め様としても止まらない胴震いと歯鳴りに私はウワワワワと獣の様な声を出して仕舞った。

もう真から気味の悪い思いをして漸う廊下を抜けて、叔父の部屋の傍まで来たかと思うと、いきなり私の心を引っさらって行く様な物凄い呻めき声が起った。