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どうけやく

道化役

豊島 与志雄

「中央公論」1934(昭和9)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 21,093 字 · 42 页

青空文庫

寂しい家の中を見廻して、蓄音機を買えと勧めた。その蓄音機がばかに贅沢なもののようにその時私には思われた。彼女は私の家の中を、生活状態を、偵察してるようだった。私は何もかも投げ出した気持で、少しも逆らず、ただ、時々意識的に、彼女の欠け縮れた醜い耳を探し求めた。彼女は私の机の前に坐って、どうしようかと迷ってるような素振で、バットを一本とりあげて眺めた。その時私はマッチを自分で取るつもりだったが、机の上になげ出されてる彼女の左手を、そっと握った。

私も半ばは意外だったが、彼女は全く意外だったらしく、全身でびくりとしたが、次の瞬間、私はその滑かな手を強く握りしめていたし、彼女はそれを私に任せて、窓の外にぼんやり眼を向けていた。やがて彼女は煙草をそのまま投げすてた。私は彼女の手を離した。

「まあ、蝶々がとんでるわ。」

彼女はびっくりしたように立上って、軒先をかすめて飛んでゆく白い蝶を眺めた。私も立上ってそれをみた。それから天気のことや郊外のことを話した。そして暫くたって彼女が帰っていく時、私たちはこんどは友だち同士のように笑いながら朗らかな握手をした。

つまらないことだったが、この冒険が、次の事件の機縁だったのである。