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かぎ

鍵

谷崎 潤一郎

「中央公論」中央公論社、1956(昭和31)年1月、5月~12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 102,182 字 · 200 页

青空文庫

私はすぐに異常なことが起ったのを悟った。「あなた」と私は呼んでみたが、彼はロレツの廻らない無意味な声を出すのみで、生ぬるい液体がたらたらと私の頬を濡らした。彼が口を開けて涎を滴らしているのであった。………

四月十八日。………こういうことが起った際の心得として、かねて児玉さんから聞かされていた事柄を、私は即座に思い出した。私は彼の下に壓し潰されていた私の体を、静かに外へ引きずり出した。(彼の体は弛緩してから急に体重が増したように、重くどっしりとのしかかっていた。私は彼の頭の部分をできるだけ動揺させないようにしながら、彼の顔の下にある私の顔を、骨を折ってゆっくりと引き退けた。いや、その前に、彼の眼鏡が邪魔になるので、それを第一に取り外した。その時の、眼を半眼に見開いた、顔面筋肉がすっかり弛んだ「眼鏡のない顔」の気味悪さといったらなかった)私は自分だけ寝台を下りて、俯向きに倒れている彼を、注意深く、極めて徐々に仰向きの位置に直した。心持頭部を高く支えておくために、枕やクションを上半身の下に入れてやった。眼鏡のほかには体じゅうに一絲をも纏っていなかったが、(私もその時までイヤリングのほかには何も身に着けていなかった)安静が絶対条件であることを慮って、やはり裸のままにして、その上から寝間着をそっと被せておいた。