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かぎ
鍵
谷崎 潤一郎
「中央公論」中央公論社、1956(昭和31)年1月、5月~12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 102,182 字 · 200 页
ただし、小池さんに云い含めて、病人には睡眠剤であることを知らせず、血壓降下剤だということにしておく。………
………六時、夕食の膳がナイトテーブルに運ばれて来たのを見、病人が何か云いたいことがあるらしく口を動かす。二度も三度も繰り返して一つことを云う。何のことか聞き取れない。私がスプーンで粥を掬って持って行くと、その手を抑えるようにしてなおも云う。私の給仕が気に入らないのかと思って、敏子が代ってみ、小池さんが代ってみるが、給仕のことではないらしい。そのうちに、病人の云っていることがだんだん私に分って来る。病人はさっきから、びーふーてーき、びーふーてーき、と云っているのである。突飛のようであるが、どうもそう云っているに違いない。ビフテキ、―――ビフテキ、―――そう云って、訴えるがごとき眼つきでチラと私を見、すぐまた眼を潰る。………私には病人が何を訴えつつあるのかほぼ想像することができたが、他の二人には分らなかったことであろう。(敏子には分ったかも知れない)私は二人に気づかれないように、病人に向って微かに首を振って見せ、「今そんなことを思ってはいけない、当分の間我慢なさい」