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ちんじょうしょ

陳情書

西尾 正

「ぷろふいる」ぷろふいる社、1934(昭和9)年7月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,750 字 · 38 页

青空文庫

私は立ち止って振り返る必要は無かった、と云うのは電柱の蔭に夫迄身を潜めて居たらしい一人の五十格好の鳥打帽にモジリを着た男が、素早やく私と肩を並べて恰も私の連れの如く粧い乍ら、ぶらりぶらりと歩調を合わせて歩き始めたからであります。私は其の男が春画売りか源氏屋に相違無い事を、屡々の経験から直ちに覚る事が出来ました。案の定男は、相手の顔から些の好色的な影も逃すまじとの鋭い其の癖如才無い眼付きで、先生、十七八の素人は如何です?――と切り出して参りました。矢張り源氏屋だったのであります。私とて是迄彼等の遣口には疑い乍らも十度に一度は※(始め二重括弧、1-2-54)真物※(終わり二重括弧、1-2-55)に出喰わさない事も無かろうと微かな希望を抱き、従って随分屡々其の方面の経験は有りましたが、其の範囲内では毎時ペテンを喰わされて居ました。三十過ぎにも見える醜い女が、小皺だらけの皮膚に白粉を壁の様に塗りたくり、ばらばらの毛髪をおさげに結って飛んでもない十七八の素人に成り済まし、比類稀なる素晴らしきグロテスクに流石の私も匆々に煙を焚いた程の非道い目に会った事も有りまして、当時は一切其の方面の女には興味を失って居る時でしたが、其の夜は奇妙な事に、十七八の素人と謂う音が魔術の如く私の婬心を昂らせたのであります。