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ざっき(いち)
雑記(Ⅰ)
寺田 寅彦
「中央公論」1922(大正11)年
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,568 字 · 33 页
と云った。私は当惑した。「でも、さっき君が自分で切ったばかりではないか。」こんな証拠にもならない事を云ってみた。
切り立ての鋏穴は円形から直角の扇形を取りのけた格好をしている。私の指先でもみ拡げられた穴にもその形の痕跡だけはちゃんと残っているが、穴の直径が二、三割くらいは大きくなって、穴の周辺が毛ば立ち汚れている。
もう一人の車掌もやって来て、同じ切符にもう一つ穴をあけた。「私のはこれですからね」と云って私の眼の前にそれを突きつけた。三つの穴が私を脅かすように見えた。
代りの切符をもう一枚出して下ろしてもらった方が簡単だとは思った。が、その時の私の腹の虫の居所がよほど悪かったと見えて、どうもそういうあっさりした気になれなかった。別の切符を出すのはつまり自分の無実の罪を承認する事になるような気がしたので、私はそのまま黙って車を下りてしまった。車掌は踏台から乗り出すようにして、ちょっと首をかしげて右の手でものを捧げるような手つきをしながら「もう一枚頂きましょう」と云ってニヤニヤした。
下り立った街路からの暑い反射光の影響もあったろうし、朝からの胃や頭の工合の効果もあったかもしれないが、とにかくこの車掌の特殊な笑顔を見た時に私の全身の血が一時に頭の方へ駆け上るような気がした。