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おしゃく

雛妓

岡本 かの子

「日本評論」1939(昭和14)年5月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 26,482 字 · 53 页

青空文庫

いまから十八年前、画学生の逸作と娘歌人のわたくしとは、同じ春の宵に不忍池を観月橋の方から渡って同じくこの料亭のこの座敷でご飯を食べたのであった。逸作はそれから後、猛然とわたくしの実家へ乗り込んでわたくしの父母に強引にわたくしへの求婚をしたのであった。

「あのとき、ここでした君との話を覚えているか。いまのこの若き心を永遠に失うまいということだったぜ」

父の死によって何となく身体に頽勢の見えたわたくしを気遣い逸作は、この料亭のこの座敷でした十八年前の話の趣旨をわたくしの心に蘇らせようとするのであった。わたくしもその誓いは今も固く守っている。だが、

「うっかりすると、すぐ身体が腑が抜けたようになるんですもの――」

わたくしは逸作に護られているのを知ると始めて安心して、歿くなった父に対する涙をさめざめと流すことが出来た。

父は大家の若旦那に生れついて、家の跡取りとなり、何の苦労もないうちに、郷党の銀行にただ名前を貸しといただけで、その銀行の破綻の責を一家に引受け、預金者に対して蔵屋敷まで投げ出したが、郷党の同情が集まり、それほどまでにしなくともということになり、息子の医者の代にはほぼ家運を挽回するようになった。