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あめのかみこうち
雨の上高地
寺田 寅彦
「登山とスキー」1935(昭和10)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,473 字 · 9 页
山頂近く、紺青と紫とに染められた岩の割目を綴るわずかの紅葉はもう真紅に色づいているが、少し下がった水準ではまだようやく色づき初めたほどであり、ずっと下の方はただ深浅さまざまの緑に染め分けられ、ほんのところどころに何かの黄葉を点綴しているだけである。夏から秋へかけての植物界の天然の色彩のスペクトルが高さ約千メートルの岩壁の下から上に残らず連続的に展開されているのである。
眼下の梓川の眺めも独自なものである。白っぽい砂礫を洗う水の浅緑色も一種特別なものであるが、何よりも河の中洲に生えた化粧柳の特異な相貌はこれだけでも一度は来て見る甲斐があると思われた。この柳は北海道にはあるが内地ではここだけに限られた特産種で春の若芽が真赤な色をして美しいそうである。
夕飯の膳には名物の岩魚や珍しい蕈が運ばれて来た。宿の裏の瀦水池で飼ってある鰻の蒲焼も出た。ここでしばらく飼うと脂気が抜けてしまうそうで、そのさっぱりした味がこの土地に相応しいような気もした。
宿の主人は禿頭の工合から頬髯まで高橋是清翁によく似ている。食後に話しに来て色々面白いことを聞かされた。残雪がまだ消えやらず化粧柳の若芽が真紅に萌え立つ頃には宿の庭先に兎が子供を連れて遊びに来たり、山鳥が餌をあさり歩くことも珍しくないそうである。