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あめ

雨

織田 作之助

「海風」1938(昭和13)年11月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,261 字 · 44 页

青空文庫

「あと見送りて政岡が……」

ちらちらお君を盗見していたが、しだいに声もふるえてきて、生つばを呑みこみ、

「ながす涙の水こぼし……」

いきなり、霜焼けした赤い手を掴んだ。声も立てぬのが、軽部には不気味だった。その時のことを、あとでお君が、

「なんやこう、眼エの前がぱッと明うなったり、真黒けになったりして、あんたの顔こって牛みたいに大けな顔に見えた」

と言って、軽部にいやな想いをさせたことがある。軽部は小柄なわりに顔の造作が大きく、太い眉毛の下にぎょろりと眼が突き出し、分厚い唇の上に鼻がのしかかっていて、まるで文楽人形の赤面みたいだが、彼はそれを雄大な顔と己惚れていた。けれども、顔のことに触れられると、何がなしいい気持はしなかった。……その時、軽部は大きな鼻の穴からせわしく煙草のけむりを吹きだしながら、

「このことは誰にも黙ってるんやぜ、分ったやろ、また来るんやぜ」

と、だめ押した。けれども、それきりお君は来なかった。

軽部は懊悩した。このことはきっと出世のさまたげになるだろうと思った。ついでに、良心の方もちくちく痛んだ。あの娘は姙娠しよるやろか、せんやろかと終日思い悩み、金助が訪ねてこないだろうかと怖れた。