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ゆきとどろ
雪と泥
山本 周五郎
「オール読物」文藝春秋、1954(昭和29)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,993 字 · 40 页
相手の男はけもののように喘ぎ、刀を持ったままうしろへさがった。
折之助は走りだした。
――逃げるんだ、早く。
雪が口の中へとびこんだ。三四間走ると、急に眼が眩み、吐きけにおそわれながら、横さまに倒れた。そこは堤の端だったので、倒れるとそのまま、斜面を辷って堤の下まで転げ落ちた。
「逃げるんだ」彼はすぐに起きようとした、「早く、さもないと捉まるぞ」
だが躯の自由がきかなかった。むりに起きようとすると、ずるずると滑って、殆んど堀へ落ちそうになった。彼は左手で地面を掻きさぐり、枯れた草の根を掴んだ。頸の脇から噴き出す血が、みるみるうちに、雪をどす黒く染めていった。
「できたよ、おしの」と彼は呟いた、「しかも二百両、……ほら、ここにある」
彼は掴んでいる草の根を揺すった。
「待っておいで、すぐにゆくからな、もう大丈夫だ、これで、……なにもかもよくなるよ」
堤の上はひっそりしていた。そして、やがて山の宿のほうから、とばして来る駕籠の、けいきのいい掛声が近づいて来た。
「だからあたしがそう云ったでしょ、世間にはそうそう鴨ばかりいるもんじゃないって」おつねが針へ糸を通しながら云った、「あんたは縹緻も頭もいいし、自分でも凄腕だと思ってるだろうけれど、そういう人ほど却ってひっかかりやすいもんだからね」