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ゆきのうえのあしあと

雪の上の足跡

堀 辰雄

「新潮」1946(昭和21)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,685 字 · 12 页

青空文庫

学生 三好さんの詩にも、何処かの山村を、一匹の傷ついた鹿が足を縛られたまま、猟師にかつがれてゆく詩がありますね。あれは何処かしら?

主 伊豆の湯ヶ島あたりの風景だろう。僕は残念だが、とうとう鹿は見られなかった。向うの小瀬あたりでも、一昔前までは、よく鹿の啼きごえが聞えたそうだ。

学生 僕はこの間、チェホフの「学生」という短篇をよみました。復活祭で帰省していた一人の学生が、或日――北風の吹いている、寒い日でしたが、なんだか此の世にはいつの時代にもこんな風が吹きまくっていて、そこには無智と悲惨としか見られないような考えを抱いて、非常にうち沈んだ気もちになって、散歩から帰つて来ると、もう暮れがたで、隣り村の或農家の中庭では焚火をしている。みると、それは昔自分の乳母だった寡婦と、その不しあわせな娘なので、学生はしばらくその焚火にあたらしてもらっているうち、急に使徒のペテロも丁度こんな風に焚火にあたっていたんだろう、と思い出し、それからペテロが鶏の啼くまえに三たびクリストを否んだ物語をその二人の女に向って話しはじめる。女たちは黙って聞いていたが、そのうち急に二人とも泣き出してしまう。