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しもばしら

霜柱

山本 周五郎

「オール読物」文藝春秋新社、1960(昭和35)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,328 字 · 29 页

青空文庫

――池の対岸は黒ぐろと樹の繁った丘で、それは城のある鶴ヶ岡と続いているのだが、その一部に鶴来八幡の社殿があり、そこは昔の砦趾だといわれていた。

「江戸屋敷に熊平という庭番のいたことを覚えているか」と喜兵衛が急に話を変えて訊いた、「右のこめかみのところに大きな瘤があったので、瘤平ともいわれたとしよりだ」

「上屋敷にか」

「梅林を受持っていた」

「覚えているようでもあるな」

「酒を早く」と喜兵衛は女中に云った、「肴はいつものとおり、魚田と塩焼と味噌椀、漬物をたっぷり頼む、へ、――」彼は右の肩をしゃくって唇を曲げた、「四万二千石の城下で、美味いのは漬物だけときている、いったいこの土地の人間には舌というものがあるのかい」

おかやという女中は笑いながら、喜兵衛に向って舌を出してみせた。

「ごめんなさい」とおかやは云った、「この土地ではこれを舌と云いますけれど、お江戸ではなんといいますかしら」

「じたというんだ」喜兵衛は膝を打った、「そんな物はしまって早く酒を持って来い」

おかやは殴るまねをして立っていった。

「悪い癖だ」と石沢が穏やかに云った、「こういうところへ来るとまるで魚が水へ帰ったようになる、まず酔わないうちに文句を聞こうじゃないか」