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しゅせきとばっせき
首席と末席
佐々木 邦
「雄弁」大日本雄辯會講談社、1927(昭和2)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,378 字 · 15 页
思い出すと隔世の感がある。当時私達の学校の卒業生は中学校の教諭心得として二十五円で売れた。大学卒業生は五十円六十円で、並等は教頭、成績の好いのは直ぐ校長になれた。大学は未だ東京の帝大丈けだったから学士が貴かった。恐らく昨今の博士以上だったろう。私の郷里では従兄が初めて大学を卒業した時、町民有志が旗を立てゝ三里ある停車場まで迎いに出かけた。そればかりでない。町の学務委員の発起で祝賀会が催された。「文学士田中謙一郎君慰労会」といったように覚えている。それくらい学問は苦しいものと思われていた。謙一郎君は町会の慰労に値するほど勉強した所為か、間もなく肺病で殪れてしまった。余談はさて措き、今から四分の一世紀ばかり前のことである。
さもしい話だが、当時私達は二十五円の月給を目標として学問に精進していた。今に二十五円取れると思うと、そこに安心立命があった。理想が低いと言って笑う人があるかも知れないが、私達は大抵月九円で賄っていたのだから、二十五円といえば、その三倍に当る。今日の学生は少くとも月五十円の学資を要する。しかし卒業してその三倍の百五十円取れるか? 二十歳そこ/\の青年に月二十五円は当時決して薄給でなかった。