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シーせんせいへのてがみ
C先生への手紙
宮本 百合子
「年刊多喜二・百合子研究 第2集」多喜二・百合子研究会編、河出書房、1955(昭和30)年9月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 30,519 字 · 60 页
或時は、俄に山巓を曇らせて降り注ぐ驟雨に洗われ、或時はじめじめと陰鬱な細雨に濡れて、夏の光輝は何時となく自然の情景の裡から消去ったようにさえ見えます。瑞々しい森林は緑に鈍い茶褐色を加え、雲の金色の輪廓は、冷たい灰色に換ります。そして朝から晩まで、一重に物懶く引延ばした雲の彼方から僅かに余光を洩す太陽の下に、まるで陰翳と云うものの無い万物を見るのは淋しゅうございます。五月の末に此方に来た時は、紫紅色の房々としたライラックがまだ蕾勝ちで、素朴な林檎の花盛りでございました。其からぐんぐんと延び育った熾な夏は僅か二箇月でもう褪せようと仕て居ります。私が大きな楡の樹蔭の三階で、段々近眼に成りながら、緩々と物を書き溜めて居るうちに、自然は確実な流転を続けて居ります。今も恐るべき単調さで降りしきって居る雨が晴れたら、地上はきっともう秋に成って居りますでしょう、雨が好きな私も、毎日毎日同じ水気と灰色とで溺れたような景物を眺め暮すのは、少し飽き飽きした心持が致します。――
C先生。
もう三時間許り前、私は此処まで陰気な机に向って書き進めました。けれども、余り気分が冴えないで若し其儘進んだら如何那に物懶いものが出来上るか分らないと思ったので、其処まで書いてペンを擱いて仕舞いました。