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アイえきのいちや
I駅の一夜
中谷 宇吉郎
「世界」1946(昭和21)年2月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,480 字 · 10 页
何か薄暗がりの中でごとごとと音がしている。大分待ってからやっと出て来たのは、さっきの女中さんではなく、声の主らしい。玄関は真暗なので、身体付きも分らないが「どうも失礼致しました。この頃ちょっと物騒なものでとんだ失礼を致しました。どうぞお上り下さいませ」という丁重な言葉付である。
「靴はお持ち致しますから。さあどうぞこちらの方へ、御二階の方で御座いますが」とその美しい声の主は、真暗な梯子段を先に立って案内してくれる。足許を探り探り上って行く私を、中段で待ち受けながら、その声の主は「こんな時に、こんな所に先生が御出でになろうとは夢にも思いませんでした。私は先生の随分熱心な愛読者なんで御座います」と言う。
「実はお部屋がもう御座いませんので、相宿を御願いしようと思ったので御座いますが、それも余り失礼なので。あの誠に失礼で御座いますが、私の部屋でおやすみになって戴くよりないので御座いますが」という話である。梯子段を上ったすぐ右がその部屋である。
前後一時間ばかり真暗な中をさまよった末に、初めて明るい部屋に通された。四畳半の部屋である。美しい声の主は紺絣のもんぺをはき、同じ紺絣のちゃんちゃんを着ていた。