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あなたもわたしも

あなたも私も

久生 十蘭

「毎日新聞」1954(昭和29)年10月29日~1955(昭和30)年3月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 133,405 字 · 263 页

青空文庫

サト子が望んでいるのは、あの青年を岩棚のむこうの砂場へ連れこみ、潮がひいて、あすの朝、洞の口がまた水の上にあらわれ出るまで、赤ん坊のように抱いていてやりたいということらしかった。

「あたしにだって母親の素質があるんだろうから、こんなことを考えたって、おかしいことはない」

タクシが門の前でとまった。車を帰して、家のなかに駆けこむと、広縁から庭先へ出てみた。

集魚灯をつけた漁船は、まだ、あきらめずにやっている。漁師と若い警官のすがたは見えず、中年の私服が、ひとりだけ船にいた。

戸締りしたところを、のこらずあけはなすと、サト子は、ラジオのスイッチをひねった。

「フニクリ・フニクラ」という、どこかの国の陽気な民謡が、割れっかえるような音で流れだす。

洞の奥で、あの青年が、どんな思いでこのうたを聞くのだろう。

「いま行くわ」

急いで水着に着かえる。植込みの間を這って、庭端から石段を降りると、ひっそりと海に身をしずめた。

水がぬるみ、海は眠っている。波が動きをとめたので、湖水のように茫漠とひろがる月夜の海を、サト子は、のびたり縮んだりしながら、水音もたてずに洞のほうへ泳いで行った。