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あるこうぎしょ
ある抗議書
菊池 寛
「中央公論」中央公論社、1919(大正8)年4月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,272 字 · 34 页
それを聴いた時、母の狂乱に近い悲痛の有様は、今でもどんなに精しくでも申上げることが出来ます。父は母が必死に頼むにも拘わらず、姉夫婦の惨死の現場へは、母を行かせませんでした。棺に収めた姉の屍体に対し、僅かな名残りを惜しませただけでありました。
母は、姉の悲業の死を聞いてから、三日の間は一食も咽喉を通らない程でありました。その時は丁度六十一でありましたが、元来瘠せて居た身体は、僅か二、三日の中に、ゲッソリと衰え、ただ二つの大きな眼だけが狂人のそれのように血走って、絶えず不安な動き方をいたして居りました。夜も娘の死を思うて、易々とは寝付かれないと見えまして、ウトウトしたかと思うと、『おとしおとし』と、叫んで、狂気のように跳ね起きて布団の上に端座して、何やらブツブツと申すかと思うと、又さめざめと泣き伏すのでありました。
姉が病気で死にましたならば、いくら気の弱い母でも、之ほどの悲嘆には暮れなかったのでありましょうが、夫婦諸共兇悪な強盗の為に惨殺されたと云う恐ろしい激動は、母には堪えられなかったのでありましょう。その事件があって以来、ボンヤリとしてしまって日に衰えて行ったようであります。