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あるこうぎしょ

ある抗議書

菊池 寛

「中央公論」中央公論社、1919(大正8)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,272 字 · 34 页

青空文庫

骨組の如何にも逞しい身体、眼は血走って眉毛は飽く迄も濃く、穢悪な大きな低い鼻と云い、太く横に走った唇と云い、人間の獰猛な獣性が、身体全体に溢れて居るような男でありました。こんな男の手にかかっては、あのかよわい姉夫婦は一溜りもなかったのも無理はないと思いました。

が、遉に獰悪らしいこの男も、裁判長の厳かな死刑の云い渡しを受けると、顔の色をサッと易えて、頭を低くうなだれました。私は、正当な刑罰が、否彼の犯した罪悪に比ぶれば軽過るが、然し現在の刑法では極刑に当る刑罰が宣告され、その男が刑罰に対する、相当な恐怖を感じた時、私は初めて、私の限りなき憤忿の心が和らげられたのを感じました。が、私の本当の感情から云えば、まだまだ之位の事では、私の憤や恨は充分に晴らされたとは思いませんでした。

私は死刑と云うことが、かかる場合に充分な刑罰であるか、どうかを考えて見ました。此の坂下鶴吉は、私の姉夫婦を加えて、丁度九人の人間の命を奪って居ます。が、彼が奪って居るものは単に九人の被害者の生命だけではありません。私の姉が殺されたに付いて、私の母の怖ろしい精神上の打撃を受けた如く、他の八人の被害者の父なり母なり兄弟なり姉妹なりが同じように怖ろしい打撃を受けて居るに相違ありません。