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いわゆるしぜんのびとしぜんのあい

いわゆる自然の美と自然の愛

丘 浅次郎

「時代思潮」1905(明治38)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,029 字 · 16 页

青空文庫

これはきわめて明瞭なことで改めて例を挙げる必要もない。自然を観察するために郊外へ出かければ、荒れ果てた草原に牛や馬の骨が乱れ転ってある傍に腐りかかった猫の屍骸が横たわり、皮膚は破れ腸は流れ出し全部はなはだしい悪臭を放っている。その側に美しい菫の花が咲いていて、その隣りに新しい犬の糞が堆っているというごときことを至る所で実見するが、これがすなわち小規模の自然の見本である。大なる自然の全部もこのとおりで美なるものも醜なるものもことごとくその中に含まれている。人の掃除した所だけは暫時例外のごとくに見えるが、捨て置けばかならず上に述べたごときありさまになってしまう。

かような実際のありさまを目前に見ながら、醜なる部分については一言も言わず美なる部分のみを非常に賞讃し、あたかも自然は全部ことごとく美なるかのごとくに説く者の生じたのは何故かというに、これはわれらの考えによれば恐らく耶蘇教の影響を受けたゆえであろう。慈愛に富める神がわれわれ人間のためにこの世界を造り与えたと説き込むには、勢いまずこの世界は美なる世界であると会得させて置かねばならぬ。けだし慈愛に富める親爺はけっしてその子に半分腐った饅頭を与えぬと同じ理窟で、慈愛に富める天の父はけっしてわれわれに半面醜なる世界を与える道理はないからである。