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うすゆきしょう
うすゆき抄
久生 十蘭
「オール讀物」1952(昭和27)年1月号~3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 30,454 字 · 59 页
ない思いをしたことだったろう。
そのせいばかりでもあるまいが、そういう騒ぎがあった半月ほど後、筆記によれば十月の四日、蘆屋道益は小田原の事業を人知れず手仕舞いにして、金筐と財宝を荷駄につけて京都へ転住を決行している。
妻の資子と娘の行子は、一日前に目立たぬように手船で淀へ送った。荷駄を二隊に分け、一隊を道長に宰領させて鉄砲隊をつけ、風摩の野館から離れた安全な足柄路をやり、道益自身は半日ほど遅れて小田原を発ち、後の荷駄について箱根路を行ったが、測り知れぬ宿業の仕手にあやつられ、父子ともどもそこで絶滅することになるのである。
伊豆相模を通って、武蔵から京へ上る道は、古くは足柄路の一筋だけだった。延暦二十一年に富士山が噴火し、焼石が押しだして通れなくなったので、箱根の近くに新道を開いたが、翌年、足柄路が恢復し、以来、足柄、箱根の二道になった。足柄路は酒匂川のほとりを関本に上り、苅野、矢倉沢を通って足柄峠を越え、鮎沢(いまの竹下)へ出る。箱根路のほうは、小田原から湯本の湯坂を上り、城山、鷹巣山の峯伝いに二子山の西麓を通り、葦河宿(元箱根)を経て三島(伊豆国府)へぬけるが、この二つの路は車返しの近くで落合い、黄瀬川について沼津宿へ下りるようになっていた。