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さくらんぼ

さくらんぼ

岡本 かの子

「週刊朝日」1932(昭和7)年6月5日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 2,173 字 · 5 页

青空文庫

その下を潜る彼女の襟首に虫ばんだ実はぱらぱら落ちた。彼女は家を逃げてもこれだけは持って行こうと抱え出した楽譜をかざして落ちる実を除けた。

霧の空に都会の燈は淡く映ってプリンのような半透明な空の肌はサーチライトの銀刀でえぐり廻されていた。この町村は深く眠っていた。牛がわらを噛む音さえ聴えそうに思えた。彼女は裏の木戸にそっと手をかける。その指先が夜闇にかくれてそろそろさくらんぼうを喰べに出かける蝸牛の行列に触ってぎょっとする。

彼女は垣の外へ忍び出る。外のくらやみで二人が揉み合っていた。町長の息子の農学士がさかな屋の娘の十六を押さえているところ。

「このさくらんぼう泥棒め。さくらんぼうは貴様のうちにあれほどあるじゃ無いか」

彼女は駆け落ちをしばらく延期して裁判官になる。彼女はさかな屋の娘に訊く。「なぜわたしのうちのさくらんぼうぬすみに来たの」「だってお嬢さんとこのさくらんぼうで無えじゃあの人喰べねえというもの」彼女は町長の息子の農学士に訊く「なぜここに来合わしたの」農学士は答える「もう大概あんたの駆落ちするころが成熟したと思ってさ」

そこへ男が呑気な顔して断りに来た。