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どぶろくげんそう
どぶろく幻想
豊島 与志雄
「群像」1952(昭和27)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,452 字 · 21 页
特別の理由はなく、しぜんに浮んできたのである。交通が自由ならば朝鮮海峡でも差支えないが、それはだめ。そこで、津軽海峡の青函連絡船。いつでも誰でも乗られる。敗戦後の日本には思いがけない立派な船だ。航程約五時間余。食堂で思いきり食べ思いきり飲むんだ。それから船の甲板をぶらつく。勿論夜分のこと。秋の夜の冷い潮風に吹かれて船室外をぶらついてる者など、恐らくあるまい。ただ俺一人。海峡の中ほど、夜気は冴え、海は暗く、空も暗い。その空に星を仰ぐ、オリオンでもスバルでも何でもよい。いや、赤い北極星がよかろう。北極星を仰ぎ見て、そのとたん、舷側の欄干の間から身を躍らす。体は宙に流れて、意識はもう茫とかすみ、海面との衝撃が最後の火花となり、あとは黒闇々の虚無の底。
船は航行を続ける。俺自身の一片だに後に残らない。だが、波浪のまにまに弄ばれる俺の体の、眼球の底の網膜には、北極星の映像が暫くは残るだろう。このオプトグラムが俺の最後の存在。
自由意志による方法の選択と、決行後の確実不可避な結果、これこそ真の自殺と言うべきではないか。
千代乃の場合、あるいは最後に星を仰ぎ見て、それが彼女のオプトグラムとなったかも知れないけれど、それはただ偶然のチャンスで、俺が理解する自殺の決意なんか、毒薬を嚥下する際にも果してあったであろうか。