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イタリアじん

イタリア人

寺田 寅彦

「ホトトギス 第十一巻第七号」1908(明治41)年4月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,981 字 · 8 页

青空文庫

花の時分などになると何となく春のどよみが森の空に聞えて窓の下を美しい人の群が通る事もあった。欄干にもたれて何かしんみりした話でもしている時、程近い時の鐘が重々しいうなりを伝え伝えて遠くに消えることもあった。

いったい黒田は子供の時分から逆境に育ってずいぶん苦しい思いをして来た男だけに世間に対する考えもふけていて、深い眼の底から世の中を横に睨んだようなところがあった。観察の鋭いそしていつも物の暗面を見たがる癖があるので、人からはむしろ憚かられていたためか、平生親しく往来する友も少なかった。そのひねくれたようなところが妙に自分と気が合ったのも不思議である。自分はどうかこうか世間並の坊ちゃんで成人し、黒田のような苦労の味をなめた事もない。黒田の昔話を小説のような気で聞いていた。月々郷里から学資を貰って金の心配もなし、この上気楽な境遇はなかった筈であるが、若い心には気楽無事だけでは物足りなかった。きまりきった日々の課業をして暇な時間を無意味に過すと云うような事がむしろ堪え難い苦痛であった。ただ何かしら絶えず刺戟が欲しい。快楽とか苦痛とか名の付くようなものでなく、何んだか分らぬ目的物を遠い霞の奥に望んで、それをつかまえよう/\としていた。