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ズラかったしんきち

ズラかった信吉

宮本 百合子

「改造」1931(昭和6)年7~9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 54,656 字 · 110 页

青空文庫

年とった方が奇麗に剃った顎をあげて、上気せた穢い顔をしている信吉の方を見た。

「――朝鮮人だよ!」

「へえ……」

そのまんま、またブラリブラリ……。

ムラムラっとして信吉は、息が早くなった。どいてくれ! 近くの一人へ体あたりにぶつかった。何だと思ってやがるんだ。どけったら!

「国家保安部はいないのか」

ピーッ。誰かが口笛を鳴らした。信吉の、若々しい生毛のある唇からは血の気が引いている。やけくそに、もう一遍つっかかって行こうとしたとき、

「どしたんだ?」

おお。日本語だ! 新しくもない鳥打をかぶって、縁無眼鏡をかけた男が直ぐ、達者なロシア語で牛乳売の娘に何か云った。それから信吉に、

「君、いくら払ったんだ?」

「五十カペイキだ」

「この女は、一ルーブリ五十カペイキと云ったって云ってるんだ」

二人の問答がはじまると、群集は和いでガヤつきだした。

「この女の足へ、湯ぶっかけて逃げようとしたって、そうか?」

「冗談じゃねえ! そいつがとびつきやがった拍子に、ちっとぱっかこぼれたんです」

縁無眼鏡が、ロシア娘にうまいこと一本参らしたと見えて、群集は機嫌よくドッと笑った。さすがにテレて娘は桃色の布の端をひっぱりながら、外方を向いてる。