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ズラかったしんきち
ズラかった信吉
宮本 百合子
「改造」1931(昭和6)年7~9月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 54,656 字 · 110 页
「ナデージュダ・コンスタンチーノヴァ・ミチコヴァ」
呼びあげながら、一わたり室内の群集をゆっくり端から端へと見渡した。信吉の一側前のベンチから、紺色の服を着た若い女がいそいで立って、壇の前へ出た。
信吉は、顎をツン出して女裁判官の方を見ながら、今に自分の名が呼ばれるかと気を張った。ちがった。別の名だ。
「ワルワーラ・アンドリェヴナ・リャーシュコ」
――誰も出て来ない。
女裁判官は、練れた声を少し高めてもう一遍呼んだ。
「いないんですか?」
みんな、ザワめいた。赤い布で頭を包んだ女がベンチから立ち上りながら、
「さっき、ここにいたのに」
と、廊下の方へさがしに行った。
すると、
「同志裁判官……」紺ルバーシカを着た猫背の薄禿げの男が前列のベンチから立ち上って、妙に押しつけがましい口調で女裁判官に云った。
「私は……ワルワーラ・アンドリェヴナの良人です……彼女は頭痛がして来たもんでちょっと……私が質問に答えたいと思います……」
「それには及びません」
女裁判官は見透したように微笑んで云った。
「きっと急に工合がわるくなって来たんでしょう……私共は待てますよ」
相手が出て来ないもんでポツネンと頼りなさそうに壇の下に立っている若い女に、質問をはじめた。