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ゼーロン
ゼーロン
牧野 信一
「改造」1931(昭和6)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,533 字 · 29 页
私は、鬣の中に顔を埋めてその凸凹の激しいジグザグの坂を登りながら、跛馬は平坦な道よりも寧ろ坂道の方が乗手に気楽を感ぜしめるという一事実を見出したりなどした。丘の頂に達すると眼下に猪鼻村の景色が一望の下に見降せるが私は、この頂を丁度巨大な擂鉢のふちをたどるように半周して、一気に村の向い側へ飛び越えるつもりであった。――そうすれば、その先は全く人家の跡絶えた森や野や谷間の連続で、常人にとっては難所であるが私には寧ろ気軽になる筈だった。然しそれらの行手の径を想像すると私は最早一刻の猶予も惜まねばならなかった。日は既に中天を遠く離れて、紫色のヤグラ嶽の空を薄赤く染めていた。道は未だ半ばにも達していないのだ。私は、懸命にゼーロンを操りながら綱渡りでもしているかのような危い心地で擂鉢のふちをたどりはじめた。先々の道ではどうしてもゼーロンの従順な力を借りなければならぬことを思って私は鞍から降りて成るべく静かな独り歩きを試みせしめた。先に立たせて歩かせてみるとゼーロンの跛足は私に容易ならぬ不安の念を抱かせた。私は水車小屋で貰って来た水筒の酒をゼーロンの口に注ぎ込んだり、蹄鉄を験べたり、脚部を酒の雫で湿布したりして行手の径のための大事をとった。