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チェーホフしろん

チェーホフ試論

神西 清

――チェーホフ序説の一部として――

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 20,618 字 · 41 页

青空文庫

世の中にこれほど非人間的な条件があるものではない。もちろん科学の猛襲の前に理想の王座がぐらつきだして以来、リアリズムの名のもとに分類される作家はフランスの自然派をはじめとして、少いどころではない。ロシアにはそれとは別に、まるで突発事故のようなゴーゴリの出現があった。だがいわゆるゴーゴリのリアリズムなるものが、じつは十字架への烈しい畏怖の潜在なしには成り立ち得なかったであろうことはもはや公然の秘密であろうし、チェーホフがその種の畏怖には完全な不感症だったこともすでに明らかである。同様にしてゾラには、人間を科学するとでもいった大それた野心が支柱をなしていたろうし、フローベルには芸術の信仰が、モーパッサンには人間獣への復讐の快感が、わが国の私小説家には卑小の礼拝というまことに手頃な宗教が、それぞれ有力な支えをなしていたはずだ。

リアリズム等というとひどく強そうに聞えるが、その独り歩きは案外むずかしいらしいことがわかる。もし純正リアリズムというものが存在するとすれば、それは怖ろしく非人間的な条件――つまり徹底的な非情の上にのみ成り立つものに違いない。チェーホフなら立派にその資格があった。