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チューインガム

チューインガム

寺田 寅彦

「文学」1932(昭和7)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,807 字 · 10 页

青空文庫

しかしおそらくアメリカほど「俳諧の世界」から遠くはなれた国はどこにもあるまいと思われる。日本では泥坊にでも俳諧があるが、アメリカのギャングにはそれがない。チューインガムを噛む税関吏の顔は日本人から見れば俳諧があるかもしれないが税関吏の胸の中には一滴の俳諧もありそうもない。

チューインガムの流行常用によってその歯噛みの動作の反応作用から日本人が生理的並びに心理的にだんだんアメリカ人のようなものに接近して行くというようなことはあり得ないものか。そういう日が来れば我国の俳諧は滅亡するであろう。そうして同時に日本魂もことごとく消滅してしまうであろう。こんな極端な取越苦労のようなことまで考えさせられるのである。

こういうことを書いている自分が、実はまだ一度もそのチューインガムなるものを口に入れたことがないのである。従ってここでいうところのチューインガム亡国論も畢竟はただ一場の空論に過ぎないと云われても仕方がないであろうが、しかしこの些末な嗜好品の流行の事実もそう軽々には見遁すことの出来ないものではあろうと思われる。

また考え直してみると日本という国は不思議な国であって古い昔から幾度となく朝鮮や支那やペルシアやインドや、それからおそらくはヘブライやアラビアやギリシアの色々の文化が色々の形のチューインガムとなって輸入