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ブルジョアさっかのファッショかについて
ブルジョア作家のファッショ化に就て
宮本 百合子
「時事新報」1932(昭和7)年1月28~30日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,808 字 · 8 页
人々がある。例えば牧野信一の「ゼーロン」川端康成の或る作品などは表面個人主義的な現実からの逃避を示しながら、現在の火華の出るような階級対立の現実から自身、眼を外らし、同時に読者をも科学的な世界観から切り離してくる点において完全にファッシズムの一つの支柱としての役割を持っている。群司次郎正ははっきりと自身のペンが軍事御用ペンであることを昨今は証明しているし『文戦』の里村欣三が『改造』の特派員となって軍事記者を勤め「坂本少尉武勇伝」に就いて、どんな階級的批判をも加えず、書立てているのも社民・労農大衆党と等しく、民主主義者と云うものはブルジョアの使傭人であることをなによりも雄弁に示している。これ等の実例でも明かのように、文化芸術に於けるファッシズムは決して或る限界線の向う側にだけ一纏めに固まっていて、その線のこっち側は綺麗だというものではない。一冊の雑誌を取ってみても、一枚の新聞の中にも、或は喫茶店でされる会話の中にも、ファッシズムの浸透とそれに抗して打ち壊こうとする大衆の意志は対立して盛り込まれている。
芸術上、ファッシズムに対する闘争というのは、従って極めて日常的に、細部に亙ってされなければならぬものであり、その闘争はただプロレタリア文学の正当な発展によってだけ行われ得る。