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マクシム・ゴーリキイのひとおよびげいじゅつ

マクシム・ゴーリキイの人及び芸術

宮本 百合子

「婦人公論」1933(昭和8)年10月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,075 字 · 30 页

青空文庫

は、尽きぬ興味を与える記録の一つである。

レーニンとゴーリキイとの間に見解の相異があるということは、その頃しばしば国内的にも国外的にも逆宣伝に利用されたが、当時の革命の指導者達は、一九一〇年にすでにレーニンによって洞察されていたゴーリキイに対する評価を決して変えなかった。

「プロレタリア芸術のことに関しては、エム・ゴーリキイは一個宏大なプラスである」と。

一九二三年、レーニンは自身もう病気で苦しんでいたにかかわらずゴーリキイの健康をひどく心配し、すすめてイタリーのソレントに住まわせた。

ゴーリキイのイタリーにおける五年間の生活は、たえまない注意でソヴェト同盟の建設を研究することと、今こそ彼の目にも全貌を示した反革命的陰謀からソヴェト同盟の建設を擁護するための、大小様々の活動であった。革命運動から転落してイタリーへ行ったと思いたがっていた資本主義国の支配者は、ゴーリキイが年ごとにプロレタリアートの政党ボルシェヴィキの政策を理解し「十年」「私の祝辞」において、ますますそれに接近することを見て失望した。一九二六年から着手された「四十年」でゴーリキイは十月革命までのロシア近代の生活を描こうとした。