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マクシム・ゴーリキイのでんき
マクシム・ゴーリキイの伝記
宮本 百合子
幼年時代・少年時代・青年時代
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 60,543 字 · 120 页
本の頁を繰るたびに、弱い赤っぽい焔は揺れ、顫える。ひどく臭く、煙は目にしみた。けれどもこういう不便は彼の前に次第に拡がりゆく世界の知識に対する歓喜の前には、決して堪えられぬものではなかった。本と一緒にいる時だけゴーリキイがそこから逃げ出したいと思いつづけている製図師一家のだらけて、悪意がぶつかり合っている環境が遠のいた。塵芥捨場となっている穢い窪地。青いどろどろの水溜り。サーシャの呪や、番頭の盗みや、忘られぬ靴屋の主人の褐色の家が絶えず真向うに見えているという窒息的な目の前は広々と拡大せられ、プラーグやロンドンの都市の美しさが、そこで行われている生活がゴーリキイの世界の中のものとなって来た。そこには、市街の真中で無遠慮に悪臭を放っている塵芥捨場などはない。又、半年の間続く厳しい冬もなければ、本を読むことさえ罪になるという正教の大斎週間のような納得のゆかない習慣もない。パリでは、馬車の御者、労働者、小僧のような「下層民」でもゴーリキイが毎日目撃しているニージニの町などのそれとは違った暮しをしており、「下層民」でも極めて大胆に紳士と口をきき、あっさりした態度で自由に振舞っている。