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マダムさだやっこ
マダム貞奴
長谷川 時雨
「婦人画報」1920(大正9)年2~4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 26,999 字 · 53 页
いえ、それは誰れよりもよく、当の貞奴が知っている。彼女は一も川上、二も川上と、夫を立てていた。負けぬ気の彼女も川上には心服していた。それはどのような英雄、豪傑にも裏はある。美点も弱点も、妻と夫ほど知り尽すものがあろうか。瓦を珠とおもう愚者でないかぎり、他人には傑い夫も、妻は物足らぬ底を知るものだ。貞奴と川上との間だけがそれらの外とはいえない。それですら貞奴は夫を傑いと思っていた。一面には罵りながら、一面には敬していたに相違ない。
罵るとは? 心中に軽蔑していたことである。彼女にはともすれば拭われがたい汚辱を感じることがあるであろう。夫が無暴な渡航を思立って、見も知らぬ外国へ渡り窮乏したおりのことである。また一座十九人に、食物も与えられなかったおりのことである。雪のモスクワで――さまよいあかした亜米利加で――彼女が身を投捨て人々の急を救ったといわれている。それは彼女にも苦痛な思出であったであろう。それかあらぬか噂には、折々川上が貞奴に辱しめられていたこともあるといわれた。
敬さなければならない第一は、いうまでもなく彼女が女優として舞台生活をする第一歩を与え導かれたことである。