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マダムさだやっこ
マダム貞奴
長谷川 時雨
「婦人画報」1920(大正9)年2~4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 26,999 字 · 53 页
妻の言葉に暗示を与えられてふるい立った川上は、失敗の記念となった大森の家を忍び出る用意をした。無謀といえば限りない無謀であるが、そのころはまだ郡司大尉が大川から乗出し、北千島の果までも漕附けた短艇探検熱はまだ忘れられていなかったから、川上の機智はそれに学んだのか、それともそうするよりほか逃出す考えがなかったのか、ともあれ、人生の嶮しい行路に、行き悩んだ人は、陰惨たる二百十日の海に捨身の短艇を漕出した。
短艇日本丸は、暗の海にむかって、大森海岸から漕ぎだされた。ものずきな夫婦が、ついそこいらまで漕いでいってかえってくるのであろうと、気がついたものも思っていたであろうが、短艇の中には、必要品だけは入れてあった。寝具のかわりに毛布が運ばれてあった。とはいえ、幾日航海をつづけようとするのか、夫婦にも目あてはなかった。夫は漕ぐ、妻は万一のおりにはと覚悟をしていたが、夢中で、小山のような島があると見て漕ぎつけた場所は、横須賀軍港の軍艦富士の横っぱらであった。
鎮守府に呼ばれて訊問にあったが、全く何処とも知らず流されて来て、島かげを見付けてほっとした時に夜はほのぼのと明け、それが軍艦であった事を述べて許された。