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マリア・バシュキルツェフのにっき

マリア・バシュキルツェフの日記

宮本 百合子

「新女苑」1937(昭和12)年7月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,569 字 · 24 页

青空文庫

それで、自分の名もフランス流に、父称を略して呼ぶようになったのであった。

マリアは、はじめ声楽家になって、自分がこの世に生れて来たということの真価を発揮しようと思い立った。イタリーでその修業をはじめた。けれども、専門家としての練習に声が堪えないことがわかって(十六歳の時)、この希望は思い切らなければならなかった。もうこの頃から、徐々に気付かれず彼女の命を蝕む病の作業がはじまっていたのであったのであるが、マリアはそれを知らなかった。そして十七歳の年からジュリアンの画塾に通いはじめ、最後の七年間、彼女の豊富な情熱の唯一の表現、対象として画家としての刻苦精励がつづけられたのであった。彼女の最後を名誉あらしめた「出あい」は、今日世界名画集からはとりのぞくことのできないリアリスティックな傑作の一つとなっているのであるが、マリアが数点の絵とともに後世にのこした独特な日記は、マリアの死後一年に、小説家アンドレ・チェリエによって整理出版された。それ以来、英米訳が出版され日本訳は既に十数年前野上豊一郎氏によって発表されている。

余り多くの才能と余り短い命とをもったマリアは非常に早熟であった。