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ラジオじひょう

ラジオ時評

宮本 百合子

「東京日日新聞」1940(昭和15)年11月26、27日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 1,961 字 · 4 页

青空文庫

いる傾きがある。

適当な場合、適当な表現で大きい言葉がラジオを通して私たちの日常に入って来れば、それは歴史的な意味にも或る内容と感銘とを伴った時代の言葉として心に刻まれると思う。しかし、最大の形容詞と最高の表現がくりかえしくりかえし、下らない落語の中にまで交って日夜反覆されると、それは自然、言葉としての生きた命を失って、ただのラジオの声或は騒音になってしまう。騒音には誰しもあきているのだから、調和のある音楽の音の方をより快適とするのも自然となる。

ラジオで、人間の社会的な生活の表現である言葉は、言葉としての命を常に溌剌として保てるよう、本気で考えられなければなるまいと思う。「わかりました」から「もう結構」に進み、やがて「わかった、わかった」という感情にまで追い込まれないことを、総ての聴きては望んでいるだろうと考える。

聴取者は生きている

あちらこちらでラジオのことが考えられている様子で、十二月号の『中央公論』に宮原誠一氏が「放送新体制への要望」という文章をかいていられる。

筆者の閲歴などについて全然知らないから、その文章についての限りの印象だけれど、集団聴取その他様々の放送事業の新しい歩み出しが望まれている文章の題に、やはり今日のラジオ性が反映して、「放送新体制」