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レモンのはなのさくおかへ
レモンの花の咲く丘へ
国枝 史郎
「レモンの花の咲く丘へ」東京堂書店、1910(明治43)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 71,016 字 · 142 页
(長き沈黙)それから後は娘の心は、しじゅうその音楽家の姿に引きつけられ、忘れることは出来ませぬ。時々忘れかけようと致しますと、たちまち別れる時の言葉が聞こえて来ます。……それが娘には何んとなく、恐いと同時になつかしいのでござります。(間)娘は心の中で、あの音楽家が娘の体と心とを、永久に支配する人のように思われてしまいました。(間)今も今とて、堅くそう信じているのでござります。
公子 その怪しい音楽家は、どのような姿をしておりました。(思いあたると云う様子)
女子 (ためらわず)紫の袍を着て、桂の冠をかむり、銀の竪琴を持った、若い美しい、騎士の姿でござりました。
公子 (思わず立ち上がり)ああ、それは、ほんに、ほんに、ほんに恐ろしい誘惑でござりますぞ。私は誓って申します。それは世にも恐ろしい誘惑でありますと。……私の死んだ母も、その誘惑のため、不貞の女となったのでござります。
女子 (驚き)貴郎のお母様。
公子 決して偽は申しませぬ。紫の袍を着て桂の冠をかむり、銀の竪琴を持っている騎士姿の音楽家なら間違いなく母の敵でござります。
女子 (戦慄)私は何やら空恐ろしくなりました。