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ウィタ・セクスアリス
ヰタ・セクスアリス
「昴」1909(明治42)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 58,941 字 · 119 页
この古道具屋はいつも障子が半分締めてある。その障子の片隅に長方形の紙が貼ってあって、看板かきの書くような字で「秋貞」と書いてある。小菅へ行く度に、往にも反にも僕はこの障子の前を通るのを楽にしていた。そしてこの障子の口に娘が立っていると、僕は一週間の間何となく満足している。娘がいないと、僕は一週間の間何となく物足らない感じをしている。
この娘はそれ程稀な美人というのではないかも知れない。只薄紅の顔がつやつやと露が垂るようで、ぱっちりした目に形容の出来ない愛敬がある。洗髪を島田に結っていて、赤い物なぞは掛けない。夏は派手な浴衣を着ている。冬は半衿の掛かった銘撰か何かを着ている。いつも新しい前掛をしているのである。
僕はこの頃から、ずっと後に大学を卒業するまで、いや、そうではない、それから二年目に洋行するまで、この娘を僕の美しい夢の主人公にしていたに相違ない。春のなまめかしい自然でも、秋の物寂しい自然でも、僕の情緒を動かすことがあると、ふいと秋貞という名が唇に上る。実に馬鹿らしい訣である。何故というのに、秋貞というのはその店に折々見える、紺の前掛をした、痩せこけた爺さんの屋号と名前の頭字とに過ぎないのである。