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みっつの「おんなだいがく」

三つの「女大学」

宮本 百合子

「婦人公論」1940(昭和15)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 6,822 字 · 14 页

青空文庫

」明治の精神が持っていた壮健な常識の響は福沢諭吉の言葉をとおして、これらの文章のうちにも高く鳴っているのである。

そもそも福沢諭吉が、「女大学」を読んで、それに疑問を抱き、手控えをはじめたのは、彼が二十五歳で大阪から江戸へ出て来たときからのことであった。明治五年に「学問のすすめ」を発表して、近代日本の誕生に、大きい光を投じた福沢諭吉が、この「女大学評論」と「新女大学」とを時事新報にのせたのは、漸く明治三十二年、彼が六十八歳で歿する僅か二年前であったということは、日本の社会の歴史のどういう特徴を語っているのであろうか。世間一般の気風とかく落着かずまじめに女学論など唱えてもまじめに耳を傾ける人などはなかったために、「幾十年の昔になりたる」その腹稿はやっと、福沢諭吉が最後の病臥をするようになって初めて公衆の前にあらわされた次第であった。

「夫れ女子は男子に等しく生れて」という冒頭をもった全篇二十三ヵ条のその「新女大学」で福沢諭吉が最も力をこめている点は、婦人の独自な条件に立っての体育、知育、徳育の均斉と、結婚生活における夫婦の「自ら屈す可からず、又他をして屈伏せしむべから」