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ちぶさ

乳房

宮本 百合子

「中央公論」1935(昭和10)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 27,932 字 · 56 页

青空文庫

それは明らかに云いがかりで、そのまま帰りかけたが、

「おい、ありゃ、何だ!」

ステッキの先で指すのを見ると、それはこの間溝にうちこまれたあと、また立て直されている託児所の標識であった。

「何って――わかりきってるじゃないか」

タミノが出て云った。

「もう一年もあすこに立ってるんだもの」

「立てていいって誰か云ったのか?」

いかにも煩さそうに、タミノが、

「だって、立ってるんだもの。ここがこうやってあるんだから――」

と云いかけると、その男はおっかぶせて、

「そりゃ分らんよ」

といやに意味深長に云った。

「こっちで、ない、と見りゃ、在りゃしないじゃないか。日本プロレタリア文化連盟だって、当人たちはあるつもりらしいが、我々の方じゃ、あらせちゃいないんだ」

タミノは、その男が去ると、地べたへ唾を吐きつけて云った。

「チェッ! すかんたらしい!」

その次の日の午後二時頃、ひろ子が二階でニュースの下書きをしていると、誰かが一段、一段と重そうに階子をのぼって来る跫音がした。きき馴れない足どりであった。ペンを持ったまま振り向くと、そこには鍾馗タビの稲葉のおかみさんが、風呂敷包みを下げたなり上って来ている。