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ふたつのにわ
二つの庭
宮本 百合子
「中央公論」1947(昭和22)年1、3~9月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 195,492 字 · 389 页
顔色ばかりか、手帳と紙入れとを内ポケットへ入れる手つき、箪笥をしめてまた食堂へ戻ってゆく足どり、それらのどこにも、昨夜のもつれた気分の跡はなかった。もう今日一日の活動の一歩がふみ出されていて、その流れのうちにある泰造の身のこなし、もののいいかたすべてに、伸子が気の毒に思う心をうけつけるような隙がなかった。後頭部にだけ髪が厚くのこっている円い頭から、カラーの雪白さ、節に毛の生えている厚い手の指にまで、事務的に明るくて、ひんやりしたものがみなぎっている。父そのものが、ニスのかすかに匂う、清潔な事務所そのものになったようでもある。
「今晩は、何時ごろ? 御飯におかえりになれるの?」
「今晩は日本倶楽部だよ」
そういいながら、ハンティングをかぶった江田がドアをあけて待っている自動車に片足をかけ、伸子が、
「いってらっしゃいまし」
というのに、一寸右手の人さし指を一本あげる外国風の挨拶をした。小さい黒いビインは、後部に朝の光をてりかえしながら、しずかに門内の狭い道を出て行った。
伸子にとって、父が出がけに、ひとこと、いつまでいるかい、ときいてくれなかったことが、物足りなかった。