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ふたつのにわ

二つの庭

宮本 百合子

「中央公論」1947(昭和22)年1、3~9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 195,492 字 · 389 页

青空文庫

黙ってさし出された父の手を執って、伸子は甘えるような、ばつのわるいような笑顔をした。電話口で父とその話をしたとき、それからあの角でクラクソンの音をきいたときまで、伸子は自然な亢奮でよろこび、素晴らしいでしょ? お父様。だから行けるようにしてね、という心もちで急いで来た。多計代が偶然かえり合わせたことは、伸子の単純だったこころもちを複雑にした。

「それで、どういうことになってるんだい?」

「旅券はおりたの。裏書だけのことなんだけれど……」

「それゃ早速、あした藤堂君のところへ行ってみよう。お前も一緒においでなさい、その方がいい」

そこへ、多計代が戻って来た。

「どこへいらっしゃろうっていうんです?」

坐りながら、

「お父様、あしたは隅田さんがあるのをお忘れになっちゃ駄目ですよ」

「あれゃ午後五時からだ。こっちは午前中にすむよ――伸子がロシアへ行こうっていうんだ」

「――ロシア?」

多計代は、その三つの音を、ながくながくひっぱって発音した。そして、ほとんどうさんくさい、という眼付で伸子をかえりみた。なめらかで色つやの美しい多計代の顔に浮んだその表情をみると、伸子はせきこむような苦しい思いになった。