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ひとのくに

人の国

豊島 与志雄

「随筆」1924(大正13)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,761 字 · 16 页

青空文庫

それから殆んど本能的に、袂の煙草を一本探って、すぐに火をつけながらすぱすぱやったが、あたりの皆の眼が一斎にこちらを向いたので、三度喫驚して立竦んだ。丁度その時、車掌台に近い頭の上で、チンチンと二つ鳴ってまたチンと鳴ったので、久保田さんは初めて我に返った心地で、それでも火のついた煙草を片手に差上げながら、泳ぐような手付で人をかき分けて、まだ少し動いてる電車から飛び降りてやった。そしてよろよろっとした足を踏みしめ、また一つエヘンと咳払いをしておいて、気付いた片手の煙草を二吸い吸うと、無性に可笑くなった。

やがてそれが堪えられなくなってきた。明るい歩道のはじをひょこひょこ辿りながら、右手の親指と人差指とをすり合して、まだ残ってるもちゃもちゃした感じを、一方では不思議な気持で味うと共に、他方では滑稽な自分の姿を頭に浮べて、久保田さんは思わず放笑してしまった。それを押え止めようとすればするほど、益々喉元にぐっぐっとこみ上げてきた。

それから可なりある道を、久保田さんは歩いて戻った。そして茶の間の火鉢の前に落付くと、此度は思い切って高笑いをした。食後一緒に集っていた夫人や姪や二男や姪の子供達が、驚いた眼付で久保田さんの方を眺めた。