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えせものがたり

似而非物語

山本 周五郎

「週刊朝日涼風読物号」朝日新聞出版、1952(昭和27)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 31,817 字 · 64 页

青空文庫

狭い谷の向うも山で、谷間にも山にも、前後左右、びっしりと杉が繁っていた。見る限り杉の林だった、そのなかで前庭の榧の樹(木剣を吊った)だけがぬきんでて巨きく、逞しく枝を張っていた。

飯篠老人は去っていった。

「では……」と云って、自然木の杖を突いて、やや皮肉な笑いをうかべ、もういちど、「それでは」と云って、そうして去っていった。

その日の午後、とつぜん黒門のお登女さまがやって来た。山駕籠に乗って、供は老女と下僕二人、それに弥市が先触れを勤めた。お登女さまは三十六七歳であった、躯は小柄でほっそりしているし、顔も手足も小づくりであった。肌は透くように白くて、縹緻もかなりいい。いかにも深窓の佳麗といったふうである。が、ひとたびその表情が動きだすと、印象はがらりと変ってしまう。年齢のためもあるだろうが、眼はきらきらと光り、唇は赤く濡れて神経質にぴくぴくし、甚だしく精悍で肉慾的な感じがあふれるのであった。

「あの杢助、いいえ、あの、飯篠さま」

彼女は縁先へ来て云った。

「さきほどあの御門弟の方からすっかりうかがいました。まあどんなに驚いたことでしょう、わたくし梅尾と双六をしているところでした、ちょうどわたくしの番で、賽を取ろうとしたときあの方がみえたのです」