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ぞくぶつせいとさっか
俗物性と作家
「東京新聞 第一六九一号~一六九二号」1947(昭和22)年5月27日~28日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 2,310 字 · 5 页
芸術の純粋性というものは、そんなところにあるのではなくて、心の励みを与える外部の力、条件が必要なものだ。それは芸術の才能の問題ではなく、人間の心や力というものが本来はかなく、たよりないものなのである。
人間はたれしもウヌボレはある。落伍者でもウヌボレはある。然しそれは全く実体のないあだなウヌボレにすぎなくて、それがなければ首でもくくるより仕方がないからのはかない生きる手がかりにすぎない。ドストエフスキーほどの大天才でも人が才能を認めてくれるから自分の才能に「実際の」自信がもてたので、不遇時代のドストエフスキーは旺盛なウヌボレはもっていても本当の自信はなくて、だからただもう人真似ばかりでロクな作品が書けなかった。
日本文学はいまだにオカユをすすって精神だの、自ら嘆いては頽廃だのとオマジナイのような架空な精神主義に支配されている低俗なものだから(これを低俗という)新聞雑誌の文学に対する仕掛には、作家に本当のハゲミを与えて傑作を書かせる実質的な手段を自覚しておらぬ。もっとも、作家の方が自覚しておらず、ジックリ腰でもすえれば、どんな傑作でも出来るものだと考えているのだから、無理からぬところでもある。